航空自衛隊の救難任務に携わる隊員は、アクチャル・ミッション(実任務出動)のことを簡略化して、
アクチャル(アクチュアル)又はミッションといいます。
ここでは実際の任務出動の経験から学び取った事などを発信し、
日々救助活動に邁進されている皆様の一助にしていただきたいと思います。
元航空自衛隊メディックK
元メディックの実任務出動の記録
アクチャル09.<原子力潜水艦の火災事故>
貨物船火災SOS発信情報を受け現場に向かうと、 それは「黒い巨大な物体」の国籍不明潜水艦の事故であった!!?
【災害派遣出動】
1980年8月(08:00頃)第11管区海上保安本部から那覇基地に「沖縄の東の海上で貨物船が火災を起こしSOSの国際救助信号を発信している。」との情報あり、出動要請を受けた那覇救難隊は、救助機・捜索機各1機が那覇飛行場を緊急離陸し遭難現場に急いだ。私は、追加の救難員T士長とともに救助機へ搭乗した。 海上に出ると雲ひとつない穏やかなベタ凪の状態で20~30km先まで見渡せるほどの良好な視程であった。
【機上ブリーフィング】
救出手順はホイスト・オペレーターを私が担当して救難員(T士長)を船上に降下させ状況を確認したうえで吊上げ救助が可能な場合は船上からボイアントスリング等を使用して吊上げる。状況が逼迫し困難な場合は搭載している救命浮舟等を当該船近くに投下、救助者を移乗させ安全な海域へ避難させてから吊上げ救助をすることで機長へ報告、了承を得た。
【捜索機からの情報】
約1時間後、現場海域に先に到着した捜索機から「捜索開始」と「海面等状況(沖縄本島海域と同じ)」について無線連絡が入ったが、当該船に関する情報は無かった。救助機も現場海域約30マイル付近に到達した時点で捜索に入った。海面は穏やかで遥か彼方の小さな漁船やタンカーの航跡までもがはっきりと見える環境にあり短時間のうちに発見することが容易であると確信できた。 しかし、いくら捜索しても当該船らしき船舶はおろか火災を示す兆候(煙等)を発見することさえ出来ず確信は徐々に不安と焦りに変わっていくのを感じた。そんな機上の不安をよそに眼下には親鯨に子鯨が寄り添って悠然と泳いでいる姿が見えた。
【突然の「黒い巨大な物体発見」情報】
捜索を開始して1時間が過ぎようとした時、捜索機から突然「救助機の3時半方向5~6マイル付近に「黒い巨大な物体を発見した」「確認されたい」との連絡が入った。目を凝らして同方向を見たが視認はできなかった。更に接近していくと救助機の燃料タンク下の海上に海面とほぼ同化した先ほど見た親鯨のような形状をした黒い物体が突然現れた。操縦士にライトターンを要求し低空飛行での確認飛行に入ると黒っぽい色をした物体の全容が現れた。船尾に大きなスクリュー、中央に遷喬、甲板は非常に狭く、後部ハッチは閉じられ歩哨が1名、前部のハッチはオープンされたままの状態で歩哨が1名小銃のようなものを構えて立ち、その足元には白い布で包まれた二つの遺体らしきものが横たわっていた。また、赤錆びたバラストタンクや魚雷発射口なども見え潜水艦であることをクルー全員が確認した。 しかし、国籍及び当該船(SOS発信船)の確証は得られず機長は貨物船の火災位置情報と潜水艦の位置を再確認し救難隊指揮所に報告・再確認を依頼した。その結果、当該船は潜水艦であることが判明したが国籍については判らなかった。
潜水艦であることをクルー全員が確認した
【潜水艦から飛翔体の発射(警告射撃)】
機長の判断により救難員1名を前部ハッチ歩哨近くに降下させ救助要請の有無を確認後、救出活動へ移行することとなった。(緊急周波数使用による無線交信を試みたが出来なかった。)救難員を降下させるため潜水艦の遷喬の左舷後方約50m付近まで徐々に高度を下げながら接近すると前部オープンハッチの歩哨の銃口が救助機に追従して動いているのが見えた。救助を要請し、SOSの発信をした船がまさか撃つことはないだろうと思いながらホイスト操作に移行するためホット・マイク(自動機内通話装置)に切換え、座席を立とうとして腰を上げた瞬間、兵士の胸元からパッと白煙が上り同時に緑の煙を吐きながら救助機めがけて飛び出した飛翔体(先端部は視認不可)を確認した。私は、この想定外の状況にボイスを発声することが出来ず「あっ」と叫んだのみだった。そして、ほぼ発声と同時に機体は左に大きく傾き急速な上昇旋回に入った。私は尻餅をついたような格好で強く座席に押し戻され今までには感じたことのない激しいG(加速度)がかかるのを感じた。Gに耐えながら横目で緑の煙を追うと前後2つあるローターとローターの中心付近の外側を上空に向かって飛んで行った後に消滅した。時間にすると1~2秒間の出来事であったが振り返ると急に緊迫感が増し「これはヤバイ!」「本気だ!接近できない」と心の中で叫んでしまった。すると機長からは「ごめんごめん、荒っぽい操作をしちゃって」とさりげないボイスが発信された。この一瞬の機敏な回避行動とクルーに対する心のケアに配慮したボイス(声掛け)でクルー全員が特異なミッションであることを察知し気が引き締まった。
緑の煙を吐きながら救助機めがけて飛び出した飛翔体を確認
【任務の変更】
機長は安全な海域に離れてから指揮所へ緊急離脱の状況を報告するとともに、再度潜水艦の国籍等について確認したが判らなかった。救助活動は中断となり、潜水艦の国籍等を確認するため、現場海域上空に自衛隊機(海・空)、海上保安庁、米軍機その他の航空機が入り偵察飛行をするので救難機は潜水艦の監視に併せ、他の航空機の不測事態に備えるための救難待機へと任務が変更された。約30分後潜水艦上空には次々と航空機が飛来し偵察飛行等を実施して飛び去って行った。
【帰投命令】
現場海域で約1時間位待機をした頃、隊指揮所から帰投命令が伝達された。潜水艦の最終確認に入るといつの間にか潜水艦の船尾付近にはタグボートのような漁船が横付けされており、白い布で包まれた遺体らしきものをクレーンで船倉に収容している最中であった。
タグボートのような漁船が横付けされた潜水艦
【放射能汚染への不安】
那覇飛行場に着陸し、救難隊エプロンに移動を開始しようとした時、隊指揮所から第1報の指示があった。「潜水艦はソ連の原子力潜水艦」「救難隊クルーは放射性物質・放射線を浴びている可能性がある」「現在国内の放射能関連技術者に問い合わせ中」「救難隊は駐機場の端で指示あるまで待機せよ。」との内容であった。クルー間には驚きと不安が一気に高まるとともに潜水艦が飛翔体を発射(警告射撃)した意図が理解できた。
【灼熱地獄】
不安を抱えながら、待つこと約1時間、第2報の指示が入った。「救難機はエンジンを停止して待機を継続せよ。(燃料が無くなる為)」「嘉手納基地の放射能関連技術者が約40分後に那覇基地ゲートに到着する予定」との内容であった。 機長は指示に従ってローターを停止、続いてエンジンを停止した。すると機内の温度は一気に上昇し熱波が襲いかかって来た。コンクリートのエプロン上にある機体は熱を吸収し激熱となりクルーは精神的にも肉体的にも過酷な状況となった。
【放射能の測定】
更に待つこと約1時間、白い防護服にガスマスクをつけガイガーカウンターを携行した技術者2名が現れた。最初に機体の測定をし、その後クルーの測定を入念に実施した。その結果、放射線の被爆も放射性物質の付着も全くないことが確認された。(技術者はクルーの一人一人にOKシグナルを力強く発信した。)この時刻を持って災害派遣行動は終了した。
『教訓』
結果的には原子力潜水艦の火災事故に対する災害派遣出動は日本で初めてとなった。幸にして出動クルーは被爆等を免れたが、放射能防護に関する知識・技能・装備等が不十分な現状を強く認識させられた。特に、潜水艦の国籍及び原子力潜水艦であるか否かの識別方法に関する知識は皆無に等しかった。 後日、放射能関連技術者等からの情報提供により、原子力潜水艦識別の方策の一つとして、各国により異なるが放射能マークが船体の一部に描かれていることを知ることとなった。また、本ミッションにおいても放射能マーク(図A)が描かれていた。(偵察飛行情報)
《潜水艦のその後》
潜水艦はその後奄美大島近海・対馬列島を通過して日本海を横断、ウラジオストック方面にタグボートにより曳航されていく様子が新聞やテレビなどで放映されていた。
※この企画は、実際に起こった航空救難、災害派遣 事例を題材としておりますが、登場する人物、地名、団体名などは架空のものであり、実在のものとは一切関係がありません。
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