航空自衛隊の救難任務に携わる隊員は、アクチャル・ミッション(実任務出動)のことを簡略化して、
アクチャル(アクチュアル)又はミッションといいます。
ここでは実際の任務出動の経験から学び取った事などを発信し、
日々救助活動に邁進されている皆様の一助にしていただきたいと思います。
元航空自衛隊メディックK
元メディックの実任務出動の記録
アクチャル07.<水戸の水害・前編>
昭和61年8月5日、台風20号崩れの熱帯低気圧による局地的な集中豪雨のため
茨城県・栃木県にまたがる小貝川、那珂川が氾濫し家屋の浸水や道路の冠水などで孤立した
被災者266名を救難ヘリコプターにより半日で救助した。
この被災者の救助数は当時航空救難団創設以来の最多記録となった。
【電話呼集】
昭和61年8月5日早朝(05:30頃)百里救難隊から自宅に電話連絡があり救難隊オペレーションへ急いだ。
到着すると指揮所が開設され災害に関する情報が下記のようにボードに記載されていた。
・下妻市:小貝川氾濫、樹上で救助を求めている被災者数名あり
・水海道市:鬼怒川氾濫警戒水域を超え決壊の恐れあり
・栃木県茂木市:大規模崖崩れ発生、道路の寸断あり
・小川町※:園部川堤防決壊、市内の一部床上浸水あり ※現在の茨城県小美玉市
・水戸市:那珂川水位上昇止まらず決壊の恐れあり
しかし、この時点ではまだ災害派遣出動の要請は無く、準備を万全にして待機せざるを得なかった。
【救難隊長指示】
出動要請は依然出されぬまま、私達は通常の飛行訓練をするためモーニングレポートを開始し、搭乗クルーが必要な情報を取得したところで隊長から指示が出された(08:00頃)。指示は、茨城県内で発生している災害の現状を踏まえ、本飛行訓練(航空偵察)をもって事前に状況を把握し要請が出された場合の行動を容易にする、というものであった。
【航空偵察】
捜索機(固定翼機)に搭乗した私は、県西部~県南部地域の航空偵察のため百里飛行場を離陸した(08:30頃)。数分後、捜索窓に入った光景は、小川町を南北に流れる園部川が決壊し濁流によって湖と化した中、孤立しているスーパーマーケットの姿であった。私達は、このスーパーマーケットを起点とし鬼怒川・小貝川までのルート捜索に入った。
筑波山系では、数箇所で崖崩れが発生し道路が寸断、車が立ち往生していた。また、県内の中小河川の殆どが氾濫警戒水域を超えており一部の河川では堤防から溢れ出た濁流によって道路が冠水し住宅街や商店街にまで流れ込んでいた。これらの状況について機上無線員は逐次、指揮所へ報告したがあまりの多さに報告しきれない程であった。 特に下妻市南西部の小貝川では堤防が決壊し、濁流が水海道市まで一直線に伸びる用水路へと流れ込み、津波のように南下して行くところであった。このまま濁流が流れ続けると更なる災害の発生は必至の状況であった。場所、濁流の速度を計測し指揮所へと報告した。その後については不明だが貴重な報告となったことは確かである。
用水路に激しく流れ込んだ濁流(小貝川)
【災害派遣出動命令】
県西部の偵察を終了し県南部の偵察に向かう途中、指揮所から災害派遣出動命令が無線により伝達された。更に、「大洗港からプレジャーボートが流され乗員1名が行方不明になっている。乗員の捜索をせよ。」との命令も付加され大洗沖へと向った。
約15分位で現場へ到着し捜索を開始するも、海域は那珂川からの濁流と海水が混ざり合って茶色に変色しているうえ、おびただしい数の瓦礫により捜索は困難を極めた。しかし大洗港沖約4マイル付近で瓦礫の中に船首部分を少しだけ残した状態で転覆しているプレジャーボートらしき物を発見した。細部確認のため救助機を現場へ指向させ引き継ぎ、私達の捜索機は百里基地へ帰投した(11:00頃)。その際、プレジャーボートらしき物の近くに火口品(海面着色筒)を投下したが濁った海水に掻き消され着色しなかった。
瓦礫の中に船首部分を少し残して転覆しているプレジャーボート
【更なる遭難情報】
航空偵察を終了し駐機場から救難隊舎へ戻ろうとした時、突然「発進せよ。」とのマイク放送が断片的に聞こえた。航空偵察を終了したばかりの私は、まさか自分だとは思わず他のクルーの発進かと思ったが、走り寄ってきた整備員から「那珂川の河口でドラム缶にしがみついたまま漂流している遭難者がいる。」「救難員は私、追加救難員は若手のA3曹」であることを告げられ急遽救助機へ搭乗することになった。(大洗沖で現場引き継ぎをした救助機は救助活動中で那珂川河口への指向ができなかった為)
遭難者を取り巻く環境(那珂川河口 防波堤)
【緊急離陸及び機内準備】
那珂川河口までは5~6分である。遭難者の状況が逼迫していると判断した操縦士はヘリスポットまで移動せず駐機場の端から直接緊急離陸をした。私達は搭乗すると同時に救助準備に入ったが時間が無くすべての準備が完了した時には遭難者の手前約150mの上空であった。
機長から「遭難者は正面にいる。どのようにアプローチ(接近・救助)するか?」との機内通話があった。「機上救難員(ホイストオペレーター)は私、進出救難員はA3曹」を報告するとともに「このポジションでスタンバイ」を要求し遭難現場の把握に努めた。
【救出環境及び遭難者の状況】
樹木や壊れた家屋等を含んだ濁流は那珂川河口で大洗沖から押し寄せる大波とぶつかり巨大な三角波を引き起こしている。一部の濁流は大波に行く手を遮られ河口東岸にある防波堤沿いに流れ込み渦を巻いているように見える。遭難者はその渦の中心部で破損したドラム缶筏にしがみつき漂っている。防波堤はテトラポッドで構成されている部分があり引き波のときには吸い込みが激しく大小の渦が幾つも発生しては消える劣悪な環境であった。
破損ドラム缶筏にしがみつき漂流している遭難者(那珂川河口)
【救難員プロファイリング】
救助機が遭難者へ不用意に接近するとダウンウォッシュの影響でドラム缶筏が回転し遭難者が海へ投げ出されてしまう恐れがある。進出救難員は渦が激しい場合泳いで遭難者への到達が出来ない可能性もある。遭難者の救助作業中(ボイヤントスリング装着)に流されテトラポッドへ吸い込まれる、防波堤への激突等々・・・、リスクは多大であった。
しかし、遭難者の疲労度を考えると迷っている時間は無かった
【救難員の助言及び機長決心】
火口品(煙を出す発煙筒弾)を投下し風向を確認後、風下から高めのホバリングでアプローチし、救助器材はダブルボイヤントスリング(一方を進出救難員の降下用及び自身の安全確保用、他方を遭難者の救助用)を使用し遭難者の直近に降下し瞬時に吊上げて救助する。進出救難員は自己安全確保用のボイヤントスリングを絶対にはずさないよう注意喚起する。また、テトラポッドに吸い込まれそうになった時又は堤防に激突しそうになった時は瞬時に吊上げ二次災害の防止を図りつつ救助に臨みたい。と助言(進言)した。機長からは「OKそれで行こう ゴー!」との回答を得てアプローチを開始することとなった。
【進出】
高めのホバリング状態からアプローチを開始し、風下をしっかりとキープしながらホイストケーブルを徐々に繰り出しA3曹を降下させた。ホバリングも安定し遭難者の手前約20メートル、A3曹との対水高度約10フィート付近までアプローチした時、突然A3曹はボイヤントスリングを抜け出して海中に飛び込んでしまった。A3曹は茶色く濁った大きな水しぶきだけを残し視界から姿が消えた。まずい、二次災害が頭をよぎった・・・。(つづく)
水しぶきだけを残して消えた?進出救難員(機上から)
※この企画は、実際に起こった航空救難、災害派遣 事例を題材としておりますが、登場する人物、地名、団体名などは架空のものであり、実在のものとは一切関係がありません。
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