自衛隊 航空 救難団 救難隊 メディック アクチャル アクチュアル
航空自衛隊の救難任務に携わる隊員は、アクチャル・ミッション(実任務出動)のことを簡略化して、アクチャル(アクチュアル)又はミッションといいます。
ここでは実際の任務出動の経験から学び取った事などを発信し、日々救助活動に邁進されている皆様の一助にしていただきたいと思います。
元航空自衛隊メディックK

元メディックの実任務出動の記録
アクチャル05.<蛸採り名人の救助>


「早朝から一人でサバニ船に乗り蛸漁に出かけたまま戻らない。」
心配した家族からの捜索依頼を受け海上保安庁を通し出動。
日没と満潮時刻まで約20分・・・時間との闘いとなった。(昭和54年1月)




【遭難情報】
昭和54年1月18日18:40ごろ、那覇市北方4q沖合の自謝加瀬(浅瀬)に「早朝から一人でサバニ船に乗り蛸漁に出かけたまま戻らない。遭難したのではないか?」と心配した家族からの捜索依頼を受けた海上保安庁を通し那覇救難隊に災害派遣の出動要請があった。また併せて、近くを航行中のフェリーから「同浅瀬で手を振って救助を求めている遭難者と思われる人がいる。」との情報も入った。


【指揮所長指示】
日没と満潮時刻が19:00頃と重なっている。日没となると照明弾使用による救助が予想される。その場合、那覇市内に照明弾が落下する危険(2次災害)や那覇空港離発着便に多大な影響を及ぼす可能性がある。更に、満潮になると浅瀬は海没し遭難者の生命に重大な影響も及ぼす。「救助機単機により準備でき次第直ちに発進せよ。」とのことであった。この時点で日没・満潮(浅瀬海没)まで約20分間位しかなかった。


【緊急発進】
通常のミッションであれば、救難員1?2名を追加搭乗させるが、本出動では『遭難者元気』の情報が入手されていたため、救難員1名のみの搭乗でホイスト操作を主任務として救助にあたることとなり那覇飛行場を離陸した。(18:45頃)


【捜索開始】
洋上に出ると同時に捜索を開始した。 海象等は薄暮状態になっていたが風は無く穏やであった。そのため遭難予想地点(浅瀬)の南側手前約1.5マイル付近で波間にもやい綱の解けた状態で漂っているサバニ船を発見した。 (18:48頃) 遭難者が乗船している可能性もあるので高度を下げホバリング状態で確認したが姿はなかった。直ちに元の捜索高度に復帰して捜索を継続した。


【遭難者発見】
再び捜索を開始してから約2分後、救助機の正面0.5?0.6マイル付近に白波が浅瀬を取り囲み今にも海没しそうな砂浜(遭難予想地点)が見えた。接近すると中央付近で救助機に向かって必死に手を振っている黒いウエットスーツ姿の人が見えた。この状況は救難情報と一致しており「遭難者」であることは間違いなかった。クルー全員がホットした瞬間(心の中で間に合って良かったと思い安堵した)であった。そして「貴者を確認した」合図としてサーチライトを点滅させ知らせた。(18:50頃) 
自衛隊 航空 救難団 救難隊 メディック アクチャル アクチュアル
遭難発見“元気に手を振っている”


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波間に漂うサバニ船




【つり上げ救助】
サーチライトを点滅から点灯位置に換えダイレクトでアプローチし救助のためのホバリングに移行した。上空から見る遭難者は救助される喜びが全身から漲っているように見えた。ボイヤントスリング(遭難者救助用浮体)をホイストフックに装着し救助機を誘導しながらホイスト操作をして遭難者の近くに同スリングを垂らし接地させた。すると遭難者は、同スリングを保持したが装着の仕方が解らず、ブランコ乗りをしたり、またいだり、片腕にかけたりして迷い焦りだした。上空からその都度ケーブルを揺さぶり身振り、手振りで正しい装着を促したが解からず葛藤の数分間が続いた。そこで、苦肉の策としてポケットにあったメモ用紙に正しい装着図を書きマスキングテープで補強後、遭難者近くに投下したところ、それを見てようやく正しく装着し、機上の私に微笑みながら右手で小さなOKサインを送ってきた。私は透かさず両手で大きな○を描いて返した。
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装着の仕方がわからず、ブランコ乗りやまたぎ乗り、片腕だけで保持する等を試みる遭難者


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メモ用紙にスリングの装着方法を明記し投下した




【機内収容】
機内通話で「サバイバーキャッチ(遭難者救助浮体装具装着)」「つり上げ開始」を操縦者に報告し、つり上げを開始した。約20フィート位空中に浮上した時、浅瀬を見ると直径約5m位の瓢箪の様な形を残して潮が満ちて来ており危機一髪の状況であった。また、太陽は水平線に完全に沈み那覇市の街灯りが鮮明に見え出し始めていた。つり上げ中の遭難者を確認すると高度が増すにつれ緊張のためボイヤントスリングを力強く抱きしめていた。約30秒後機内に無事収容した(18:55頃) 。ドアをクローズし収容完了報告をすると折り返し、「那覇飛行場へ帰投する。所要時間約4分」との応答があった。


【遭難者の機内観察】
機内に収容された遭難者の開口一番は「喉が乾いた」であった。
座席に座って落ち着いていただくともに、身体状況の観察、氏名、住所、遭難した時の様子などを伺い当該遭難者であることを再確認した。その結果、特に外傷は無く、元気の様子であった。しかし、喉の乾きの訴えは強かった。機長に観察結果を報告したところ、了解との応答に続いて、副操縦者を通じて気付け薬と称して水の入った小瓶が手渡された。
遭難者に手渡すと美味そうに一気に飲み干し、渇きが潤ったせいか那覇の夜景をじっと見ていた。


【遭難者の豹変】
それから数分後、機長から「着陸準備」の指示を受け遭難者を見ると、自席近くの機上無線員との会話が異常にはずみ豹変していた。断片的に漏れ聞こえる話をつなぎあわせると「うちの娘を嫁さんにもらってくれないか?」と言うことのようであった。独身の機上無線員は無碍に断ることもできず、私の方を向いて苦笑していた。


【着陸及び家族との再会】
遭難者の一方的な会話がはずむ中19:00頃那覇飛行場に着陸し救難隊の駐機場でエンジンを停止した。ランプドア(救助機後方の乗降口)から降りた遭難者は、駐機場入口で待ちわびていた家族を見つけると「航空自衛隊の救難隊さんにヘリコプターで助けてもらったんだ」と大声で何度々も叫びながら家族のもとへ足早に行き抱き合った。その時、遭難者の奥様が涙ながらに救難隊全員に一礼したのを受け、救難隊全員から一斉に拍手が沸き上がった。
今回のミッションはエンジンを始動してから停止するまで約20分間と短時間の出動であったが、クルーにとっては、日没と満潮が重なり時間的に余裕なく一連の救出行動を矢継ぎ早に実施せざるを得ず、更に短く感じたミッションであった。 なお、翌日の新聞報道には『陸上自衛隊お手柄・・・』と紙面に掲載されていた。
自衛隊 航空 救難団 救難隊 メディック アクチャル アクチュアル
救難隊エプロンに降りた瞬間




【教訓等】
救助機から遭難者の近くにボイヤントスリングを垂らし接地したが、遭難者は、同スリングの装着の仕方が解らなかった。これはボイヤントスリングの装着を熟知している遭難者(自衛隊の航空機乗員)を主対象者とする考えのためであった。以来、民間遭難者の救出にあたっては救難員1名を地上(海上)に必ず降下させてボイヤントスリングに適合させることが必須となった。また同スリング浮体の覆い布に装着図が描かれる様にもなった。



※この企画は、実際に起こった航空救難、災害派遣 事例を題材としておりますが、
登場する人物、地名、団体名などは架空のものであり、実在のものとは一切関係がありません。




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